豆ねんぶつ

 昔は病人が出るとその家はたいへんでした。

お医者さまに往診をお願いしても、たいていはことわられました。

何しろ足で歩くより方法がありませんから、遠くへの往診はよっぽどのことがないと、

きてくれなかったのです。

それに、いまのように保険があるわけじゃなし、くすり代もかさむので、いきおい生活

は苦しくなります。

 当時、お医者さまのくすり代は、節季(十二月)までにはなんとかしなければならない

ので、やりくりがたいへんだったそうです。

どうしても、まかないがつかない人は、くれになると、うちでつくったほし柿などを持って、

お医者さまに行き、くすり代をのばしてくれるようにたのみました。

 あるときお医者さまは言ったそうです。

「ほし柿ばかり持ってきて、おれはムジナじゃないぞ」

お医者さまにしてみれば、ほし柿を山とつまれてもお金が入らないので、困り果てたに違い

ありません。

 とにかく貧しくて、ろくにお医者さまにみてもらえなかった人々が、最後にすがったのが、

神さまや、ほとけさまでした。

病人が出た家では、ねぎさまにたのんで、おがんでもらい、かみさまのおみくじをいただい

たりしました。

 ところでそのおみくじですが、三本つくり神さまにおうかがいをたてます。

一のくじがおりたときは、もっと神信心をすれば病はよくなる。

二のくじは病気はかならずよくなる。

三のくじは病気が重くてむずかしいといわれておりました。

 また病気がどうも「つきもの」だとみられる病人には、「送り立て」という作法が、ねぎ

さまによって行われてこともあります。

 しかし「つきもの」のたちが悪くて、ねぎさまの手に負えない場合は、遠州の
山住みさま

から、おすがたを迎えてきて、「つきもの」のおはらいをしたものです。

 普通でも貧ぼうなのに、一度病人が出ると、一家の者はすっかりまいってしまうし、また

親せきもたいへんでした。

 そこでいろいろ手をつくしてみても、とてもなおる見込みがない病人には、「豆ねんぶつ」

というのが行なわれたといいます。

「豆ねんぶつ」は、その家の仏だんの前で行なわれます。

ねんぶつは音頭をとる人がいて、村のしゅうは、それにつれて一生けんめいに、ナムアミダブツ

をとなえます。

そして紙につつんだ豆を、おぜんの上にた向け、病人が苦しまないで、一日も早く天国へ行け

ますように祈ったといわれております。

 むらのお年寄りが、話してくれた昔のなんともあわれなものがたりです。


   高遠城のたたかい